在日であって、女であった。“それ”は、それぞれの経験を生きていて、誰のものとも比較できない。1940年代から、新しくは2000年代まで。さまざまな背景をもった“在日コリアン”の“女性”が、言語化できない隙間の感情を、人生を、夜空に咲く花火として表現する。
かつて在日は指紋押捺制度という外国人登録法の制度によって、痛みを伴わない形で身体の一部を奪われ続けていた。今度は彼女たちの指が、人生を自らの「選択」に変える番である。彼女たちの指は、自由である。そして観る者の目は、“奪われる”ことになるだろう。前にした花火の美しさに、その可能性に。
(一ページごとに、多様な在日コリアン女性に自分の思い描く花火を指紋で直感的に表現してもらい、花火の下には自分の生まれた年と名前を記してもらった。)


※表示されている画像は作品の一部です。
■指紋押捺制度とは

いわば指紋法は、国民国家の形成と植民地における統治の技法として、地域的な差異を超えて同時代的に利用されてきたのである。
――高野麻子(2016)『指紋と近代』p.219

日本に住む16歳以上の外国人が、外国人登録法(1952年)に基づき課せられていた指紋押捺の義務。4年に1度、役所に赴き、人差し指を左端から右端まで回転させて採取する方法で指紋の登録をさせられていた。(1982年までは14歳以上、3年に1度、10本の指全部の指紋が採取をされる場合もあった。)
外国人登録法に違反した者には、1年以下の懲役もしくは禁錮または3万円以下の罰金(1982年には20万円以下の罰金となる)が課せられた。​​​​​​​
■指紋押捺制度関連年表
1945年  朝鮮が日本の植民地支配から解放される。
1947年  天皇最後の勅令として「外国人登録令」公布。旧植民地出身者は日本国籍を保有しつつも、当面の間「外国人」とみなされる。翌日、日本国憲法施行。
1952年  「外国人登録法」施行。外国人登録証明書の常時携帯と指紋押捺が義務となる。サンフランシスコ講和条約発効にともない日本国籍剥奪。
1980年代 指紋押捺拒否運動展開。
1991年  旧植民地出身者に対し指紋押捺制度廃止。「特別永住」創設。
2000年  全ての在日外国人に対し指紋押捺制度廃止。
2007年  日本に入国する外国人に対する指紋採取開始。
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